ハチヨンアイドル山下若菜「自分のキャラは脚本の中のひとつ」


山下若菜

記念すべき第一回目のゲストは山下若菜さん。人をイラっとさせるキャラクター「イラドル」として活躍している傍ら、舞台女優として、ときに脚本家・演出家として活動している。何事も全力で取り組んでいる彼女の生き方を聞いてみた。

明るいオタクを目指して

小さいころってどんな子でした?

小学校のころはホントに暗くて。まあ暗くてというか、引っ込み思案でした。いつもひとつ上の姉の後ろに隠れてる子だったんですよ。姉はあたしと真逆で気が強くて活発な性格なんですよ。小学校のときはお姉ちゃんと一緒に学校行ったりして、周りで遊ぼうって言われても恥ずかしくて参加できなかったりとかでした。でも、小5のときに一回転校して、そのときに「今ここで明るい子に変われないと一生変われない!このままじゃダメになる」と思って、転校したときの紹介で5年生全体の前で、お姉ちゃんの真似をして「よろしくお願いします~!!」って大きな声で話したんですよ。いわゆる「小学校デビュー」ですね(笑)。

-そこで変わろうと思ったことってすごいですね。

ようは、お姉ちゃんになりたかったんですよ。そのことをお姉ちゃんに最近言ったりしてますね。小学校って、明るい子が注目浴びたりしてたから、どうにかして明るくなりたかったんですよね。でも、中学で失敗してまた暗くなってしまったんですけどね(笑)

そのころ何してました?

私たちのころって、マンガとゲームが流行ってましたよね。マンガは「スラムダンク」ゲームだと「FFⅦ(ファイナルファンタジー7)」とか。初めて予約して買ったソフトでしたね。姉と一緒に半分づつ買ってやってたりしてました。他だと「バイオハザード」とか。
それは父がやりたかったゲームらしく(笑)、基本女の子向けのゲームはあまりやってなかったですね(笑)。でも、私はどっちかというと、自分でプレイするよりも、やってる人を後ろから観るのが好きでしたね。RPG(ロールプレイングゲーム)も、姉の方が立場が上だったので、姉がやってない時間で少しづつやったりとか。だから男友達との会話は、みんな先に進んでたりで、会話についていけなかったりしてました(笑)。

他に何が好きでした?

「マンガを描く」ってことが好きでしたね。自分で鉛筆でコマ割りとか書いて、しかも、中学の時にマンガを描く友達が周りに多くて、友達数人で一人あたり4ページくらいのマンガを描いて、それを集めて小冊子にしたりしてました。

すごいですね!マンガの単行本みたいな感じ!

そうですね。ジャンプみたいな感じに仕上げてて。そしてそれを発行したりしてたんですよ。それがクラスの同級生の間でそこそこ人気があったんですよ。
それのおかげで、「ちょっと明るいオタク」みたいな感じになれました(笑)。最初はそんな配るとかするつもりはなくて、仲間内で作って余ったのを友達にあげたりしてたら、そこから人気が広がったんですよ。でも、それが今出てくるとすごい怖いんですよ(笑)。

え、なんでですか?

いや、絵が今から見たらすごい下手なんですよ。完結ものたっだり、シリーズものだったりで、ストーリーはすごく凝ったりして描いてて面白いんですけど、絵が・・・(笑)
中には中学で絵の上手い子がいたりするので、今でも中学の友達に「あのときのマンガをばらすぞ」って冗談で言われたりしますね(笑)。

弱みを握られている感じですね・・(笑)。

そうですね・・・(笑)。でも、描く以外でも読むのも好きで、ジャンプ・サンデー・マガジンとか全部読んでましたね。逆に少女マンガは中学や高校で初めて読みました。
今でもだいたい読んでますし、近所にあるブックオフにあるマンガはほとんど読んだんじゃないかな(笑)。他にも、小説もよく読んだりしてます。

山下若菜

どんな小説読んだりしてます?

星新一さんとかが好きです。400編くらいは読んでいますね。「ぼっこちゃん」とか「おみやげ」とか好きでした。基本SFの小説ですよね。ショートショートで読みやすいですしね。

他に、中学時代はマンガ以外は何してたんですか?

本当は、中学生のときに演劇部に入りたかったんですよ。だけどうちの中学に演劇部がなくて。ないのかぁと思ってたんですよ。でも高校にはあったので、入部できました。
それで、ほとんど活動してない「野外活動部」という山岳系の部活に入部してました。昔よく父にキャンプに連れていかれたのでそれで楽しくできるかな、って。しかも一応真面目に部活の練習してたら、県大会とかで2位になったりして。でもマイナーなスポーツだったからみんな「え?それ何?」みたいな感じで(笑)。

-マンガと山岳って、すごいポジションですね・・・(笑)。

だから、学校の中でそこまで地位も上がらず(笑)。クラスの中でのけものというか、はじっこな感じに追いやられてて(笑)嫌われていないけど友達はそこまでできないって感じですね。

母のサポートのおかげですね

高校では少しは変わったんですか?

高校生になっても、まだまだひきこもりでしたね(笑)。入学当初に、演劇部に入りたかったんですが、まぁ~恥ずかしくて、部活動紹介で聞いて、「あ~入りたいなぁ」ってところで終わってて(笑)。
10月になって、演劇部のクラスメイトが、私のことを無口な子と思ってたらしく、その子が、「私が話しかけてあげないといけないんじゃないか?」って思うくらいだったらしくて(笑)。

そんなに無口だったんですか?

私、仲良くなったらけっこうしゃべるタイプなんですよ。その話しかけてくれた子ともそこから仲良くなって、それがきっかけで演劇部に入れたんですよ。なので、その子が誘ってくれなかったら、演劇の世界にいなかったかも。でも、おかげさまで3年間続けることができました。
もともと中学から演劇をやりたいと思ってて、実際にやってみたらすごい楽しいと思いましたね。
そして、在学の途中から、福岡県にある財団の劇団に入ったんですよ。そのころ進路についても考えてて、高校が商業高校だったので、すぐ就職しようと考えてました。公立の高校に受かってたら大学進学していいという母との約束でしたけど、実際は私立の高校だったから、進路は就職って最初から決めてたんですよ。

進路って、悩みますよね。

そうですね。実際に就職しようと考えてたんですけど、ずっと演劇をやっていく中で、友達でも演劇でずっとやっていきたいっていう子が多くて。「じゃあ卒業するみんなを中心に劇団を立ち上げよう」って話になったんですよ。
「分かった、私もやる」と言って、就職準備と劇団演劇の練習の両方の活動を毎日やってく中で、なぜか私だけ、3月に就職する会社の研修がありまして、そして、劇団の本番当日が会社の研修日と重なってしまい。それで、演劇本番に出れない!っていう状況になったんですよ。

まさに就職と劇団のどっちを選ぶか、っていう決断ですね。

そうですね。4月からの働く会社を選ぶか、劇団を選ぶか。
おそらく普通はみんな就職を選ぶと思うんですけど、そこで私は劇団を選んだんですよ。

すごい決断ですね!

おかげで学校にも相当迷惑をかけたし、親にもすごい迷惑をかけたんですよ。それにもう、その一日だけ休むとかじゃなく、これは無理だって思ったんですよ、仕事と劇団を両立した活動なんて。それに趣味で演劇をやることもできなくはないですが、個人的に趣味ではなく「仕事」にしたい、という思いがありました。だったら、「福岡でやるよりも、しっかりと東京でやろう、東京に行こう!」って思ったんですよ。それで、東京に進学する友達の家に最初数カ月泊まらせてもらい、アルバイトしながら貯金して、自分でアパートを借りて東京で一人暮らしを始めました。友人には本当に感謝しています。

山下若菜

友人に恵まれてよかったですね。周りはどうだったんですか?

そうですね。恵まれていると思います。なので、周りにはすごく感謝しています。趣味でなく仕事として演劇をやりたいと強く思ったんですけど、進路はもともと就職するっていう約束だったんですが、母が「それは父親には言うな。言ったら絶対反対するから。でも、私がお金とかサポートするから、いってらっしゃい」って応援してくれたんですよ。

いいお母さんですね。

「父親には東京に着いたら連絡しなさい。東京に行ってからきちんと説明しなさい。それで大丈夫だから」って母が言ってくれたおかげですね。それで小さな旅行かばんもって家を出てきました。なので、自分できちんとお金を稼いだら、自宅なり何かをプレゼントして親孝行してあげたいな、って思ってます。ホント、すごく感謝してます。

舞台も脚本も常に全力で

上京してすぐに仕事はあったんですか?

全然なかったですね。「もともと東京で舞台があるから来ませんか?」と誘われて上京したんですけど、それ自体は成功したし楽しかったんですけど、その次に仕事がつながるかって言うとつながらなかったんですよ。それで、何もできなくなってしまったんです。お仕事もお芝居もそんなになく、毎日アルバイトをしながら生活するしかない状況でした。でも、これじゃダメだと思い、自分で脚本を書いて、劇団を立ち上げたほうがいいと思いました。それを当時在籍していたプロモーション会社のメンバーで共感した人たちと一緒にやり始めました。それでプロダクションを辞めて、脚本を書きながら活動していき始めました。そしたら、今在籍している「Lily Promotion」の社長に声をかけてもらい、一緒にやるようになりました。

じゃあそれまでフリーで活動してたんですか?

そうですね。フリーで活動してました。フリーでやってて、他の劇団に脚本を書いてそれを売ったり貸したりして収入を得てました。あとは自分の劇団の公演をなんとか黒字にしようと活動したり。主催でやってたので、様々なマネージメントをこなしながら総合的な業務で黒字を目指してやってました。

脚本の内容はどういった内容なんですか?

ジャンルで言うと「ダークファンタジー」です。ゲームが好きなんですけど、舞台をゲームっぽくしたら全然面白くないんですよ。ゲームやマンガ、アニメと実写は、全然捉え方や世界観が違ってくるから。たとえお金をかけても、銀髪のキャラって実写じゃ表現できないですからね。だったら、そういうのではなく、人間同士の問題や、心理描写などを表現したほうがいいと思って。

周りにそういうふうに脚本を書いてる人っていますか?

周りにはあんまりいないですね。それで、「ダークファンタジー」の分野では結構、有名になってきたんですよ。よく脚本を貸してと言われたりしますね。「扉〜不思議の国のカス勇者〜」っていう台本が一番有名な作品ですね。麻布の舞台の公演等で盛大にやってもらったりしました。

山下若菜

アイドル活動をしながら脚本を書けるってすごいですね。今後そういった方向性で活動されていくんですか?

そうですね。脚本は、脚本のコンペティションに投稿したりとか、いろんな賞の作品募集に応募したりをよくしますね。他にもイベントの構成作家もやったりしてました。

すごいですね。それってかなり重宝されますよね?

こうしたら面白いんじゃない?ああしたら面白いんじゃない?と、いつも考えていますね。これはもう脚本家っていうよりも演出家の分野になってきますね。脚本を書いてるから、その人がどう動けば面白くなるかが分かってきますね。

今実際にアイドルとして表に出ている部分と、裏で脚本書いてるのはどちらがが楽しいですか?

ん~野球も好きだけどサッカーも好き、みたいな感覚ですね(笑)。どっちも選べないですね。

いい例えですね!(笑)。やっぱり自分も出たいですか?

そうですね。でも、自分が出る作品の演出や脚本は、一切自分ではやらないです。きちんと分けてやってます。よく主演・脚本・演出・監督を一人で行うのもありますけど、それよりは、私は自分が出るならば違う人の演出で出たいですね。作品には出演しても、演出は別がいいです。

それってすごく自分のことを客観視できているってことですよね?

自分のことって、自分で分かってる部分と人が分かってる部分が違うと思うんですよ。だから、人が私のことをこう見てるんだ、ってのが知りたいですね。

それでも、脚本だけで進もうと思わないんですか?

脚本って、実際に作ってるのも楽しいですが、一番楽しいのは、その脚本の作品を観ることなんですよ。脚本って、いわば「楽譜」のようなもので、オケでもそうだと思いますけど、同じ曲でも弾く人や会場等によって全然変わると思うんですよ。そういうのを観るのって楽しいんですよ。作り手が違ったりしても同じ台本でもまた違う側面を見せる。
なので、楽譜の部分を作って、それが成長していくのを見るのが楽しいです。

ということは、作品の面白さを感じるために、実際に自分が演者となってやることで気づくことってあるんでしょうね。

そうですね。なので、脚本も舞台活動もどっちも選べないですね。なので、実際に活動していても、自分の立ち位置も理解しようと活動してます。それでもマネージャーさん等には相談しますけどね。自分が登壇した舞台とかは他人に見てもらって意見をもらわないと。やっぱ基本一人でできることではないですから。できるだけ人に提案して、意見を求めたりしてますね。まずは大枠は自分で作って、そして指摘をもらってます。でもそれが一番成功するって私は思うんですよ。

山下若菜

自分で提案するアイドルっていないですよね。普通は言われたことしかやらない人って多いですし。

そうですね。まずは自分から意見を言わないと誰も何も言わないと思っています。「どうですか?」っていう提案、それはどこの業界や社会にいてもそうだと思います。

そういう意味では自己マネージメント能力がすばらしいですね。今の「イラドル」のキャラは、どのようにして確立したんですか?

舞台関係でやっていこうと考えていたんですけど、あるときアイドルイベントの出演依頼がありまして、打ち合わせに行ったらそのまま本番でアイドルとしてお客を楽しませて、と言われて登壇したんですよ。そこで急遽思いついたキャラで、自分が日ごろ行っている人間観察の中で、ぶりっ子のキャラって、同性からは嫌われるけど異性からは好かれるよね、って思ったときに、異性からも嫌われるぶりっ子はどうなんだろう?その限界ってどこかな?と考えて、ぶりっこの友達を想像しながらそれを5倍10倍とかにしたキャラは面白いんじゃないかと思いつきました。

その場でそこまで思いついたのはすごいですね。でも素の部分にそういったぶりっ子な要素ってないですよね?

ぶりっ子な要素は全くないですね。そういった要素がちょっとでもあったらモテたかもしれませんが(笑)。女の子を見てて、かわいい仕草とかを見るのが好きなので、それを真似しているだけなんですよ。

自分の中にまったくない要素をキャラとして確立するのは難しいですけど、それを実際にやってるわけですよね。

「キャラで来て」、と依頼された時しかキャラは出さないです。なので、キャラを作ってるのもみなさん知ってますし、きちんと使い分けてます。だから、もうちょっとしたら別のキャラ作ろうかなと(笑)。なので「イラドル」も、自分が脚本を書いたキャラのひとつなんですよ。でも、そのキャラのおかげでいろんな出演の依頼をいただきました。アイドルイベントもそれからずっと出させてもらってます。そういう意味で大きなキッカケでしたね。

イベントのおかげでその後に大きな影響があったんですね。自分を客観視して、立ち位置を理解して演じてるのってすごいですね。

あのときはホントその場が盛り上がればいいと思ったんですよ。今も、色んなところにいきますけど、その場が盛り上がればいいと思ってます。常に全力投球でやって、それによって次につながると教えてもらったと思っています。なので常に全力でやって、それで少しでもみなさんが笑ってもらったり楽しんでもらえればいいと思ってます。そして次の道が切り開かれると思ってます。また、一生懸命やることで応援してくれるファンもいてくださるので、それがとても嬉しいですね。ホント、周りの人たちに恵まれていると思います。みなさんには何かしらの恩返しをしないと、といつも思っています。

それで良い結果が生まれているのってすばらしいと思います。今後はどういった方向で進もうと思ってますか?

とりあえず何事も全力でしたいです。でも最終的にはお芝居をやっていきたいですね。でもアイドルのお仕事も、普段やれないことをやらしてもらっているので、とても楽しいです。映画も楽しかったです。生の楽しさや収録の楽しさ、それぞれ別の楽しさがあっていいと思います。

目指しているタレントさんはいますか?

「戸田恵子」さんですね。彼女のように女優も舞台俳優も、コメディも声優もやられてる方って、すばらしいと思います。お芝居もすごいですから。ホント尊敬しています。

では、最後に一言いただければ。

84世代って、今活躍している、もしくはこれから活躍する世代だと思うんですよ。なので、同い年として、みなさんで一緒に頑張っていきましょう。

山下若菜さん、ありがとうございました!

山下若菜

山下 若菜(やました わかな、1984年9月21日生まれ)
人をイラっとさせるキャラクター「イラドル」として活躍している傍ら、オリジナルソングの作詞、舞台の脚本やイベントの台本などの執筆で活動中。
BLOG:山下若菜ブログ「山下若菜の☆そんな若菜ー!!!」