僕がベトナムで働くわけ


こんにちは。川村泰裕と申します。

今年の4月から、ご縁と挑戦心から、ベトナムのフエという都市で、
「仕事をつくる仕事」に取り組ませてもらっています。

「ん?こいつはなぜベトナムにいるんだ?」
という声が聞こえてきそうなので、
今回は「なぜベトナムで働こうと決意したのか」についてお話します。

僕は2008年に東京の私立大学を卒業しました。
その後、東京にある某メーカーで営業を1年半従事しておりました。
しかし、入社直後の昨年11月、世間を賑わせたリーマンショックが会社を直撃。

その結果、所属していた営業部が丸ごとなくなる(!?)という自体に直面。
当然、先輩も同期も誰もいなくなり、私も昨年12月退職しました。

当然、このままでは収入の当てがなくなります。
普通であったらすぐに転職活動をしなければなりません。
しかし、その時の僕はどうしてもそうしたくはありませんでした。

というのも、会社が傾きかけた途端、
ずっと威張っていた上司が急におどおどしだし出したり、
自らの保身のことしか考えなくなった役員の姿。

そんな姿を見ていると、
「就職=会社で働く」
という形に魅力を感じられなくなっている自分がいました。
かといって、たった25歳の若造に、
会社で働く以外別の道があるのかといえば当時は全く分からない状態。
ただ、就職サイトを使っての就職活動はなんとなく違うと感じ、
結局登録はしませんでした。

そんなもやもやを抱えながら次の道を模索し続けることを選んだためか、
様々な人たちに「お前は甘い」と言われ続けました。

それでも、
「自分の感覚を信じるんだ」
と言い聞かせ、あらゆる人に自分の考えを発信し続けました。

その結果、昔、偶然知り合った起業家の方から、
「今、ベトナムで会社作っているんだけど来る?」
というお誘いが突然やってきました。

その時はベトナムは一度も訪れたことがない国で、
第一印象は、
「どこにあるの?フォーは好きだけど」
くらいのものでした。
しかし、このお誘いには何か惹かれるものを感じたため、
「これは一度現場にいくしかない」と思い、すぐにベトナムへ飛びました。

着いた途端、押し寄せるバイクと自転車、
熱気渦巻く人々に圧倒されてしまいました。
正直な話、ベトナムに着いた瞬間思ったことは、
「やばいところだ。ここで働くことなんて考えられない」でした。

しかし、1週間もすると、不思議なことに自分の考えは、
「ここで働きたい」に変わっていました。

ベトナムはGDP上では決して豊かな国ではありません。
しかし、僕が現地で見たベトナム人たちは、家族や親戚、
周りの人たちとの団欒を何よりも大切にしている人たちばかりで、
そんな姿がどこか楽しそうでした。

また、彼らは貧しいことを「解決すべき駄目なこと」とするのではなく、
「当たり前なこと」として日々助け合って生きていました。

そんな姿を見て、
直感的に「ここに身を置きたい」
そう思ったのです。

とは言っても、仕事の当ては、まだありません。
僕をベトナムへ誘ってくれた方も、
まだベトナムでどんな事業をやるかは模索中で、給料はまだ払えないとのこと。

だとしたら、道は一つ。

「仕事をつくる」しかない。

そう思い交渉した結果、
「それはあまりにも無謀なので、
無給だけれども日本語教師の仕事があるから任せるよ」
ということになりました(当然か)。
そんなこんなで今は日本語教師をしながら、日々生活をしています。

以上がベトナムへ行き着いた経緯です。
ここまでお読み頂いた方の中には「こいつ大丈夫か?」と思われたと思います。
僕もそう思っています(笑)
ただ、現時点で何も持たない僕が、
ベトナムという海外で仕事をつくることが出来れば、
後輩たちにとって新しい選択肢になるんじゃないかと思います。

このコラムでは、そんな裸一貫でベトナムへ飛び込んだ
日本の若造の奮闘の日々を綴っていきます。
どうかこれからもよろしくお願いします。

*僕の授業を受けてくれている生徒たちとの一枚。

この記事を書いた人

川村泰裕
ベトナムで働く川村泰裕です。企業からの赴任ではなく、単身乗り込んで仕事をつくろうと日々奮闘中。
BLOG:ベトナムフエで仕事を創る

あわせてどうぞ