31歳にしてうんこをもらしました
まず、下記のサイトを見てください。僕は激しく笑いました。
31歳にしてうんこをもらしました
この日記を読んで、僕は思い出しました。そう、先行者を……。
テキストサイトとは
テキストサイトとは、2000年前後より流行したウェブサイトの形式のひとつで、
文章をメインにしたウェブサイト。
まだ、ネットの回線速度はいまとは比較にならなく遅い時代。いかに軽いデータで面白くするかが競われておりました。
RSSもない時代、はてなアンテナや”なつみかん”で更新をチェックし
ReadMe!で人気サイトを探す時代でした。
おそらく、テキストサイトで一番人気があった文章が以下の侍魂のコラム。
未読の方は、ぜひ、じっくり読んでください。
ロボット技術の最先端 / 侍魂
この、文字を中心によせ、行間を適度に開け、注目させたい文章のフォントを大きくするのが主体。
10年前はこの文章に声を出して笑い、毎日の更新が楽しみでした。
現在のように有名人がウェブ上で連載することもほとんどなく、
まるで”はがき職人”のように一般個人がいかに面白い事を書いて、
フォロワーを手に入れるかと競い合っていた時代でした。
あれ??
全く面白くない!?
今改めて読むとほんとに笑えないのは年齢なのか時代なのかが不安になりながら
引き続き更新します……。
ブームの火付け役、侍魂の脅威
侍魂
侍魂に2001年3月3日、先行者の記事がドロップ。
まだ、はてブもない時代に、まさに口コミでどんどん話題になり、その当時ネットをしていて、先行者を知らない人はいないほどに話題になりました。
つまり、侍魂を知らないなんてモグリ。
2001年にネットをしていたかどうかが侍魂の話題についてくるかどうかでわかります!(ライフハック)
先行者ゲーム
当時、FLASHがはやりだしていた時代でしたが、こんな高性能な無料ゲームが開発されたり、ネトランという雑誌で先行者のプラモデルのおまけがついたりとまさに流行でした。
ヒットマン事件簿 / 侍魂
話題になった日記はたくさんありますが、突然管理人の健さんがパイプをもった知らない人に「今から殺しに行く」と連絡を受けるヒットマン事件簿も先行者並みの人気がありました。
バーチャルネットアイドルの流行
当時、侍魂と人気を二分していたのが、ちゆ12歳。
バーチャルネットアイドル(VNI)という一大ジャンルを築きました。
バーチャルネットアイドルちゆ12歳
得意分野はエロと宗教。アンタッチャブル系です。。
ここでは触れられないネタばかりなので触れても問題なさそうな記事をピック。
30年前のエロ本 / ちゆ12歳
ちゆの人気から多くのパクリオマージュしたサイトが産まれました。
詳しくは下記リンクをどうぞ。
教科書には載らないVNIの歴史
今でも、個人ニュースサイトとして人気のTBNも当時は茜17歳というバーチャルネットアイドルでした。
TBN -Today’s Best News-
毎日更新されるテキストサイト達
2000年前後のテキストサイトブームはさり、ブログやSNSの出現、
昔と比べプロの書き手がネットに進出、
または、テキストサイトの管理人の多くが大学生だったこともあり、
大学卒業とともに、多くの有名サイトが閉鎖しました。
その中でも未だ、毎日更新をしているという怪物サイトがいくつかあります。
当時は、ほとんどの大手サイトがほぼ毎日更新されてました。
しかも、ノースポンサー!お金も得ずに毎日面白い記事を書いていたのです。
書籍化も当時はほぼなかったですし、今のように実名で知名度を高め仕事につなげるわけでもなく、ただただ、テキストサイト界隈でいかに有名になるかを競って面白い記事がアップされました。
アクセスを稼ぐために、あらゆる有名サイトに”相互リンク依頼”をばらまいたり、”アクセス乞食”と他のサイトをディスったり、争いが絶えなかったのも面白い時代です。
人気サイトの指標になっていたものテキストサイトのランキングを公開していたReadMe!
もう、休止されていますが、休止にあたっての管理人のコメントがなかなか読ませるのでどうぞ。
休止にあたり管理人からのご挨拶 / ReadMe!
1984年は日本のインターネットの紀元
テキストサイトの歴史 / websitemap
上記サイトでより詳しくテキストサイトの歴史がまとまっております。
今回のコラムの内容とはずれますがこのサイトは日本のインターネットの歴史についても大変詳しくわかりやすくまとめられています。
インターネットの歴史 / websitemap
上記リンク先には、1984年から2003年までのインターネットの歴史がまとめられています。
僕ら84ismのメンバーが産まれた1984年に日本で実質的な初のコンピュータネットワークが産まれました。
慶應大学と東京工業大学を結んだもの。
当時、日本のインターネット普及の中心メンバーの村井純さんはこのように述べていたようです。
われわれは「北風と太陽」と言ってきました。「こういうものを使わなければ困ったことになるぞ」と、強迫観念を与えてものごとを推進していこうというのは、いわば『イソップ物語』でいう「北風」です。そうではなくて、「こんなによいことが起こるのだ、こんなに有効なものなのだ」と、まずコンピュータ・サイエンスの分野が成果を示し、そしてほかの分野を動かしてきたのです。
JUNET以外にもあやしいワールドから阿修羅、あめぞう、2chまで大変詳しくインターネットの歴史がまとめられていますので日本のインターネットの歴史に興味がある方はぜひチェックしてみてください。
私がインターネットに触れだした1990年代後半は、インターネットはアンダーグラウンド。
怪しく危険な世界が広がる決して健全ではない空間。
そのあたりはまた別途コラムがかければ。
次回のコラムは、建築のすすめ!プリツカー賞をフィーチャーします!
プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)とは、アメリカのホテルチェーンハイアットホテルアンドリゾーツのオーナーであるプリツカー一族が運営するハイアット財団(The Hyatt Foundation)から建築家に対して授与される賞である。(ウィキペディアより)
2010年、妹島和世と西沢立衛がプリツカー賞を受賞しました。
安藤忠雄をはじめ、日本には世界に誇る優れた建築家が多く存在します。
そのあたりをおすすめできればと思います!


