日本人としてうまれた僕


こんにちは。
ベトナムフエで働く川村泰裕です。
前回の投稿から、早1ヶ月が経ちました。

「金なし・コネなし・海外生活経験なし」
の中、何とか2ヵ月間生活できています。

しかし、当初は勢いだけで来てしまったため、いざ仕事だ! となったときの不安といったら相当なものでした。

まず日本語はもちろん、英語すら通じない環境。
よって、ベトナム語を学ぶしかないのですが、手元には「旅の指差し会話帳~ベトナム編~」一冊のみ。

ベトナムの仕事を紹介してくれた方は、
「じゃあ俺は帰るから。後は任せた!」
と言い残し、即日いなくなるという放置っぷり。

道に迷っても言葉が通じず、「何言ってんだこのニャバン(日本人)は」と呆れられ、お店に入っては通常の2倍以上の値段を払わされているのに、反論する言葉が分からず、払ってしまう草食系な僕。

しかし、そんな日々も2週間もすると開き直ることが出来ました。
「どうせ何も守るものがないんだから、ビビッていてもしかたがない。まずは一人ひとりと魂(!?)で対話をして、一対一の人間関係を作ることから始めよう」と。
思い立ったが直ぐに行動!ということでベトナム関連の本を読み漁り、ベトナムの歴史を知り、同時並行で、ひたすらベトナム人たちと話をし続けてきました(=酒を飲み続けてきました)。」

それから約1ヶ月。当初は遠慮がちだったベトナム人たちとも
「川村は、まだ彼女出来ていないの?そんなんじゃ乗り遅れるよ」
と言われるくらい互いに打ち解けることが出来ました(笑)。

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*学生たちと遊びにいったときの一枚

まさかベトナムに来て、日本と変わらないご愛好を頂けるとは思ってもいなかったのですが、今では一人の友達同士としてお付き合いをさせてもらっています……。

*余談ですが、ベトナムの異性関係のコミュニケーションは初対面から全て直球ど真ん中のストレート勝負です。「ええ!初対面でそんなこと聞くんかい!?」と驚かされることもしばしば。この話題については、別途メインテーマで書きますので、乞うご期待ください。

さて、今回はベトナムへ来て初めて感じた「日本人として生まれた僕」について書きたいと思います。

今、仕事としては期間限定ながら2つやらせてもらっています。
1つ目が、ベトナムのフエ市観光局から頂いた仕事である「日本人向けガイド育成コース」の日本語を教えること。
2つ目が国立フエ外国語大学日本語学科にて非常勤として日本語を教えております。

日本人であるだけで、特に何も出来ない身としては、日本語を活かせる仕事に就けただけでもありがたいことです。
学生たちは、日本語を話せるベトナム人ばかりなので、仕事以外にも食事に出かけるなどして仲良くさせてもらっています。

そんな学生たちと話していると、ふと自分が日本人であり、いかに恵まれているかを意識させられることが多々あります。

例えば、旅行について話していたときのことです。
僕は大学時代、国内だけではなく、インドや、タイ、韓国、アメリカなど、比較的多くの国へ旅行していました。
その体験談を話すと、口々に
「先生は良いよなー、行きたいときに好きな国にいけることが出来るなんて羨ましいよ」ということを言われました。
彼らも旅行したければバイトすればいけるんじゃないかと思い質問してみると、こういう答えが帰ってきました。

「先生、ベトナムでアルバイトをしても一ヶ月20ドルから30ドルです。例え日本へ旅行したくても航空券だけで1000ドルはかかるから、とてもじゃないけど行けないよ。しかも、お金貯めても、そう簡単にビザが取得出来ないんだよ」と。

これには「ガーン」とやられました。

学生たちには何から何までお世話になっておきながら、
知らず知らずのうちに日本人であることを自慢してしまっていました。
そのことに対して、とても申し訳ない気持ちになり、まずは謝りました。
また同時に、この出来事は「日本人はなんて恵まれているんだろうか」
と日本を見つめ直すきっかけにもなりました。

僕たち日本人は世界中を旅行しようと思えば、どこでも行けてしまいます。
世界最高水準の給料を大学卒業と同時にもらえる国は日本だけです。
たとえ学生でも、3ヶ月間アルバイトをすれば、世界一周出来る金額を稼ぐことは出来るでしょう。

さらに日本のパスポートはほとんどの国にビザなしで入国出来てしまいます。
これは日本が世界各国にODAなど資金協力をしているためです。
一方でベトナムは新卒でどれだけ高くても3万円台。
しかも給料は交渉制なので、うまく企業にアピール出来なかったら、同期入社同士でも給料が違うことは当たり前の環境。
また、ビザもほとんどの国で必要であり、中々許可は出ないとのこと。

自分の意思とは全く関係なく、
日本という国に生まれてた僕と、ベトナムに生まれた彼ら。

ベトナム語はもちろん、英語、日本語を自在に操る彼らと今の僕を比較したら、能力的には確実に彼らが上でしょう。しかし、日本人であるというだけで恵まれた立場にいる僕。
日本にいると、この恵まれた状況には気づくことが中々出来なかったけれども、外へ出てきて、今更ながらにこの状況に気づかされました。

この恵まれた立場は、一重に多くの先輩達が必死で働き、
奇跡とも言われた経済成長を達成してくれたお陰でしょう。

僕たち84世代はこの事実を忘れてはいけないと思います。
とはいえ、84世代が生まれ育った環境は「日本が良い国だ」と
感じにくいものだったと思っています。

「平成の大不況」と呼ばれる時代を過ごしてきましたし、TVや新聞では連日のように「日本はやばいんじゃないか」という報道を聞かされてきたように感じます。
毎日、こんなニュースを聞かされていたら、
「この国、もうダメなんじゃないか」と思わないではいられませんよね。

しかし、ベトナムに来てみて初めて、「日本って本当に良い国なんだ」と痛感させられています。
日本中どこの蛇口から出る水が飲める環境はベトナムにはまだ整っていないし、停電もほとんど起きません。
(ベトナムのフエは2日に1回は停電……。)

こういった最低限のインフラの整備面から、時間を守る、約束を守るなどなど、細かい人の気質まで、数え上げたらキリがないほど日本の良いところに気づかされています。

そもそも、「日本語教育」という仕事が成り立つのは世界の中で日本が恵まれた立場にいるからですよね……。
とはいえ、いつまでも甘えてばかりいる訳にはいきません。
ベトナムは毎日成長し続けている国であるけれども、日本は最近はずっと停滞状態が続いています。

経済面だけの評価でいえば、やがて、追いつかれる可能性は十分にあると思います。
だからこそ、僕たち84世代が求められていることは、
経済面での評価 「α」を持って他国と関係を作っていくことなのではないかとひしひしと感じます。

「じゃあそのαって何だよ!」とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、まだそれは分かりません……。

まだベトナムで働かせてもらっ2ヶ月。
これから現場でごちゃごちゃと動き回る中で、そのαの可能性を模索していきたいと思います。
このコラムではそのヒントも随時書いていきますので、ぜひコメントをお寄せ頂ければとても嬉しいです。

今回のコラムは以上です。
とても真面目になってしまいました……。らしくないなという声が周りから聞こえてきそうです(笑)
たまには、こんな真面目なことも考えているということで許してください。

それでは、ここまで読んで頂きましてありがとうございました!
また会いましょう!


*いつも食べているえびのフォー。これで100円!

川村

この記事を書いた人

川村泰裕
ベトナムで働く川村泰裕です。企業からの赴任ではなく、単身乗り込んで仕事をつくろうと日々奮闘中。
BLOG:ベトナムフエで仕事を創る

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