サリンジャーに代表される現代の文学


僕が初めて好きな文学と出会ったのは、中学二年生の頃だった。

『ライ麦畑でつかまえて』(英:The Catcher in the Rye)J・Dサリンジャーと呼ばれるアメリカの作家の作品である。発表されたのは51年のことであり、戦後の作品を対象とする現代文学の枠にぎりぎり入った作品である。

それでも、時節を超えて読むたびに主人公である少年、ホールデンの鋭利なナイフのように先がとがりすぎたセンシティブな考え方と自分の考え方が重なっていくように感じられるのは不思議だ。愛読書の一冊と呼んでもいいかもしれない。それからだろうと思う、現代の色々な作品に手を出し始めたのは。

「現代の文学に共通するのは、何だろう」

各国の現代の文学を読み進めるうちに思い抱いた疑問だ。
物語は論理的でもないし、かといって破綻している訳でもない。現代の文学を語るには未熟なのかもしれないが、これはいち読者として思うことだ。
ひとつ、もし現代の文学を一言で言い表すならば、勿論、全てではないが、サリンジャーに代表される現代の文学に共通しているのは「危うさ」だと思う。
登場人物の先の見えない人生、本能のままに行動し続ける性格、例えるなら前のめりのまま走り続け、いつ転んでもおかしくないような危うさが現代の文学には共通して存在すると思われる。

綿矢りさの『蹴りたい背中』、金原ひとみの『蛇にピアス』もそうだ。
文学賞の低齢化が進み、若者の危うさをリアルに描き切った作品も多々、出版されつつある。また今は村上春樹や川上弘美などの作家が台頭してはいるが、次の時代へ今の文学を引き継ぐにあたって、80年代生まれの若い世代を無視することはできないだろう。
この現代に特有の「危うさ」を正確に表現するにあたって、数々の小説への評論を通じて理解を深めていきたいと考えている。

記事に出た本

-J・Dサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』白水社、1984
-綿矢りさ『蹴りたい背中』河出書房新社、2003
-金原ひとみ『蛇にピアス』集英社、2004

この記事を書いた人

忠太 小説が好きな、マーケティングを専攻している大学院生。 データ分析が得意。小説を読んだり書いたりするのが好き。 将来の夢は小説家。泥臭いのが書きたい。

あわせてどうぞ