短編小説「梅雨空とビール」


《突然ですが、今夜飲みに行きませんか。
 ビール一杯、おごりますよ☆》

敬語なんて普段使わないけれど、高校からの友人の彼女との飲みは、
いつも、こんな感じのメール1本で決定する。

こっちの駅まで来てくれるらしいのだけど、彼女の家は逆方向。
きっとこれは、何かちょっと、あったのだ。

たぶん彼氏がどうとか、仕事がどうとか。

季節は梅雨。
少しだけ、面倒な気持ちにもなるけれど、夏が近づいて来たことも、確かだ。
(ビール飲みたいな。)
だから私は、《了解》と一言だけ、返す。

元々ビール好きの私だ。
“一杯おごる”なんて言われて、
そもそも断る訳がもない。

ソレを知っているこの子のこの誘い方は、確信犯。

望むところだ。

******

「もうさ、わたし、仕事辞めたい。」

さっき乾杯と一緒に一息に飲み干したビールを置くなり、彼女は言った。

彼氏か、仕事か。
後者だったか。

高校のときから、
選ぶ選択肢は堅実な割に、
実際はけっこう行動的な野望も抱えている目の前の友人は、
大学を卒業しても、
就職して数年が経っても、
やっぱり、その性格は変わっていない。

彼女は今、
他人からしたらうらやましい立地にある、
他人からしたらうらやましいほど安定感のある、
他人からしたらうらやましいほど残業の少ない、
他人からしたらうらやましいほどのボーナスと給料が出る、
そんな事務所で働いている。
今年就職できなかった新卒生には、たぶん、はったおされるような愚痴。

だからって、彼女の愚痴が「贅沢だ」とか「小さい悩みだガマンしろ」だとか、
そんな事を言うつもりはない。
他人から見てくだらなくても、本人にとっては、一大事だったりもする。
それくらいのことは、私にだってわかってる。

お通しと、あとは、味噌につけるキュウリくらい。
そんなのをつまみながら私たちは、
ただ、ビールを進めて行く。

「やっぱさ、やりたいことがあるんだよね。」
お通しを突っつきながら、彼女は言った。

聞いてみれば、
高校の時にもずっと言っていたことで、
大学の全然違った学部に進んでからも言っていたことで、
卒業してからもつぶやいていたことで、
まぁ、一貫してる。

「じゃあもうさ、辞めちゃいなよ」

私がさっくりそう言えば、
だよねー、と小さく言いながら、彼女はビールをあおる。

それからまた、話は彼女の仕事の愚痴になって、
私は私で「辞めちゃえ辞めちゃえ!」なんて言ってみたりして、
それで、解散。

彼女が何か決断したわけでもないし、
私が彼女の悩みを吹っ飛ばしたわけでもない。

でも、お互いに少し酔っぱらった頭で歩く駅までの道は、
たしかに少し、気持ちがいいのだ。

******

数日後、彼女からまた、メールが入った。

《今年度いっぱいで、仕事辞めるわ!》

短いメール、だけど。

堅実な道を進んで行く彼女は、
けれど時々こうして、ポーンと飛んでみせる。

よく言えば好奇心旺盛なんだけど、
興味も関心も散漫で、
よく言えば行動力があるんだけど、
一カ所には定着できない私。

正反対な私たちがこうして、
気づけばもう10年以上も“友だち”を続けていられるのは、
きっと彼女が、こういうヤツだから。

《おめでとう》

そう返信しようとして、
けれど結局、全文削除。
そして私は打ち直す。

《あのさ、突然だけど、今夜また飲み行かない?》

送信完了画面を確認して、
私は携帯をバッグに戻した。

***************

《あのさ、突然だけど、今夜また飲み行かない?》

仕事を辞めることにした。
そう送ったわたしのメールへの、その返信。
レスが早い。

《了解》

これは何かあるな。
何となくそんな気がして、わたしもすぐにレスしてやる。

数日前に梅雨入りした東京は、
今日だって、今にも雨が降りそうだ。

辞めることを決めてみれば、愛おしさは増したけれど
やっぱりますますヤル気の起きない仕事のたまったパソコンの前で、
わたしは時計に目を向ける。

午後は始まったばかり。
こんなグズグズな天気の時の方が、きっと、ビールは美味しい。

******

先日と同じ店で、同じようにビールをあおる。
違うのは、
乾杯後の彼女の飲みっぷりがいいことと、彼女の口が少し、重いこと。

どうでもいい話ばっかりして、時々バカ笑いして。
“特になんの用事もないんだけどね”みたいな素振りの彼女。

だから、確信する。
これは何かあるな。

それからもしばらくバカ話を続けると、やっと、彼女が言った。

「つか、私もさ、今の仕事そんな長く続けらんない気がするんだよね」

「何、なんかあった?」

なんかあるに決まっている。
それはわかってるけど、さりげなく、聞いてみる。

彼女はたいてい、強気だし、負けず嫌いだし、
普通は言いにくいようなことでも、スパっと言ってくれたりする。
だから
「思った事をすぐに口にするヤツ」と思われているし、
彼女自身もよく「言わなきゃ伝わんないじゃん!」なんて言ってるのだけれど、
実際の彼女はもっと、繊細だ。と、わたしは思っている。

それが証拠に彼女は、
愚痴や、他人の悪口は一切、口にしない。
突飛すぎる、行動力がありすぎる、と言われがちな彼女だけど、
それぞれの場所でそこそこに成果を出しているのは、
それなりにちゃんと、考えている証拠。

彼女の職場近くまで飲みに行くわたしにも、いつも
「いやー、ありがとありがと!」と、ざっくりと言う彼女は、
つまり案外、気を使う子なのだ。

職場の仲間と、上手くいっていないらしい。
笑いながら話しているけれど、
あまり元気がないから、その笑顔は不自然だ。

私も仕事辞めちゃおっかな。
彼女は、そう言う。

「辞めちゃえ、辞めちゃえ」

先日の彼女のマネをして、わたしは言う。

彼女は、繊細だ。
どんな理由があったにせよ、辞めたり離れたりした場所に対して彼女は
罪悪感のようなものを持っているし、気にもしている。
不必要なくらいにそんな気持ちを抱えつつ、
それでも彼女は、動くのだ。

それに「先の事なんかちゃんと考えてないや」と言う彼女が、
実際にはそれなりに考えていて、
ただ、確信が持てていないだけなのだということを、私は知っている。
たくさんの選択肢の中で
安パイよりも“本当に必要なこと”の優先順位を上げてしまう彼女の将来なんて、
残念ながら確かに、何の保証もできない。

安パイなんて本当は、人生の中に存在していない。
それくらいのことは、わたしだってもうわかっているけど。

「辞めちゃえ、辞めちゃえ」

あっさりしている、と言われている彼女が、
本当は全然、あっさりなんかしていないと、知っているから。
だからわたしは、あっさり言う。

せめてわたしくらいは、
あっさり言ってやってもいいと思う。

笑って彼女は、また、ビールを口にして、
そしてそのまま、飲み干した。

いくねぇ~。
笑って言いながらわたしは、
彼女の意思も聞かずに、店員を呼ぶボタンを押す。

明日も仕事だけど、
今日はまだまだ、飲んで行こう。

それからまた、話はくだらないことになって、
くだらないことで大笑いして、
それで、解散。

彼女の悩みが吹っ切れたわけではないし、
わたしが何か、彼女に解決策をアドバイスできたわけでもない。

でも、お互いに少し酔っぱらった頭で歩く駅までの道は、
たしかに少し、気持ちがいい。

******

数日後、彼女からまた、メールが入った。

《もうちょっとがんばってみるわぁ》

短いメールだけど、
私は少しだけ、頼もしい気持ちになる。

突拍子もない、と言われるような道を進んで行く彼女は、
実際はそれなりには堅実で、
そして時々こうして、ふんばる姿を見せてくれる。
無理すんなよ、と思うけれど、
少しだけそんな彼女を、わたしは尊敬していたりもするのだ。

よく言えば地道で着実だけど、
リスクをとることが怖いだけで、
よく言えばマジメに考えている、のだけど、
実際は、いろいろ考えたくないから、一カ所に留まっている、わたし。

正反対なわたしたちが、こうして、
気づけばもう10年以上も“友だち”を続けていられるのは、
きっと彼女が、こういう性格だから。

《ま、お互いがんばりましょう!
 また飲みに行こうねー☆》

彼女のメールは、そこで終わっていた。
短いメール。
それでいい。

事務所の時計の針は、お昼前の時間を示している。

けれどまぁ、今日くらいは、
少し、仕事をがんばってみてもいいかな、と思う。

《うん、また飲み行きましょう!
 今度は夏に、ビアガーデンで!》

送信完了画面を確認して、
わたしは携帯をバッグに戻した。

この記事を書いた人

tiharu
静と情熱と強気とビビリの間にいます。お散歩にでかけると2時間は帰って来ない類の自由人。若者対象のソーシャルワーカーで、地域活性系のNPO活動と、ライターの仕事もちょこっと。
BLOG:旅の空でいつか

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