希望の国、日本?



*ベトナム人との食事風景

ベトナムのフエで働く川村泰裕です。
随分と久しぶりになってしまいました。

今は、ベトナムの大学で臨時の日本語教師をさせてもらっています。
日本語教えるのは難しいなと試行錯誤する日々ですが、
同時に彼らからみた「日本」というものにも接しております。

今回は僕の中で、印象的だったある女子学生(大学1年生)の日本語の作文を紹介します。
これは、先日行われた「日本語スピーチコンテスト」で発表をしてくれた際のものです。
(*ほぼ原文)


「夢と信じること」


だれでも自分の夢があります。
しかし、たくさんの人は夢は夢で、かなわないといいました。

私はそうとはおもいません。私達は一生懸命がんばれば、努力すれば、夢が叶うと思います。
多くの人は努力をせずに、大きな夢を語ります。
世界中で有名な人になりたいとかお金持ちになりたいとかです。
また、ほかの人はたからくじにあたって、会社をやめて、それから世界を旅する夢を見ます。

けれども、私は違います。私の夢はいつか日本へ行くことです。
まぶしいさくらやかわいい着物やおもしろいまつりの国をテレビで見たことがあります。
私は日本の空港につくだけでじゅうぶんだと思ったこともあります。
私はちょっとおさなくて、ばかだったでしょう。
でも今は日本にいけるようにできるだけがんばりたいと思っています。

ですから、いくら両親と友達が私の意見に反対しても、
私は大学に入るとき日本語を選びました。

一年間、日本語を勉強するのはずいぶん大変でしたよ。
私は困ったことがたくさんありました。毎日、宿題は多くて、
テストがぜんぶでよっつあったので、

友達とでかける時間や、自分がやりたいことをやる時間がありませんでした。

ときどき、とてもつかれました。勉強のストレスだったでしょう。
私はぜんぶをあきらめようかと思ったこともあります。

私はとてもこわい。いつか、日本語を選んだことがまちがいだと
こうかいする日がくるのではないか?

でも、夢のために、将来のため、
いくら難しくてさいごまでがんばります。

熱心な日本語学科の先生のおかげで、
私の日本語はだんだん上手になってきました。

皆さん、石の上にもさんねんです。
私は今、自分の夢をそだてています。
将来、いつか日本へ行くつもりです。

皆さん、しんじることと夢があれば、
その夢のために、がんばってください。

たいせつなことは自分をしんじて、チャンスをつかむことです。
私といっしょにがんばりましょう。

終わり。


*スピーチの様子

このスピーチをしてくれた学生は本当にいい笑顔で、一生懸命話してくれました。
僕はその姿に心打たれてしまいましたが、一方で戸惑いを隠せない自分もいました。
「日本は、学生が想像するような希望に満ちている国なのか」

を目の前に突きつけられた気がしたんです。
自分自身、日本が良い時代であった頃を知らないで育ちました。

それに日本の景気が日々悪化し続けていることは肌身で感じていました。
僕がベトナムに来たのも、「このまま日本にいても、自分はもう何も出来ないのでは・・・。」

というネガティブな理由であったことも確かです。
けれども、ベトナムでは日本を好きでいてくれて、日本語を学び、
いつか行ってみたいという学生たちが驚くほど沢山いること。
このギャップにかなり戸惑いました。

話はちょっと逸れますが、ベトナムではなぜこんなに日本語教育が盛んなのでしょうか。
もちろん、日系企業に入ることで「高い給料がもらえる」ということは理由の一つです。

しかし、それだけの理由で日本語を学んでいる訳ではありません。
小さい頃から「ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」が好きだったから。

日本の音楽・映画が好きだから。日本の桜を見たいから。
「身の回りの日本製品は品質が良かった。品質が良いということは相手のことを考えて作っている。
つまり、日本人を知ることが出来れば相手のことを考えられる優しい人になれると思ったんです」

という理由で日本語を勉強している学生もいます。
このように様々な理由から「日本のことをもっと知りたい」と思い、
日本語を勉強してくれています。

僕は学生たちからこうした意見を聞く度に、
日本って本当に尊敬されている国なんだなと思わずにはいられません。
実際に、僕はベトナムに住み、働いた上で日本を改めて見直してみると、
本当に恵まれた国だと感じています。

全国どこでも綺麗な水が飲める。断水がない、停電もない。
天災からほぼ無縁な生活が出来る。
ありとあらゆる教育・医療を受けることが出来る。
世界中のありとあらゆる情報が手に入る。
買い物行ってもボッタくられない(小さいことですが重要)

ベトナムは今、こんな国を目指して、日々発展を続けています。
では、それを既に獲得している日本は元気がないと言われているんでしょうか。

特に日本人の意識として「もうだめだ」と感じている人が多いと思っています。
事実、ベトナムで出会った日本人の方たち(約50人))はほぼ間違いなく
「日本のこれから」については悲観的でした。
上記の文章の中でいつか日本語をえらんだことがまちがいだとこうかいする日がくるのではないか

と書いてありますが、このままではそう思われてしまう日もそう遠くないんじゃないか・・・。
と思わずにはいられません。

けれども、僕はもう彼らに出会ってしまった。
だから、このままにしておきたくないなと思うんです。

折角日本語を勉強してくれているのだから、「日本語を勉強して本当に良かった」と思って欲しい。
具体的にどう活かすのかはまだ手探り段階ですが、
僕たち世代は、こうした人たちの無形の資産を活かさない手はないと考えています。

海外で働くことは限られた人の選択肢ではありません。
日本のパスポートがあれば世界中どこにだって行けます。
そしてネットさえあれば世界中どこに居ても、誰とでもつながれる時代です。

語学が分からなくても、現地に住みながら片言でもその地の言葉を話していれば、誰かしら教えてくれます。
「そんなこと言っても、仕事ないじゃん!」と思われる方もいらっしゃるかと思います。

そんな場合は創れる可能性だって沢山あるんです。
現地の人たちと話し込むと、日本人として求められる役割を沢山見付けることが出来ます。

そして、その可能性をネットに発信すれば、誰かしら興味を持ってくださいます。
その中でさらにアイディアを磨いて、具体的な仕事の形を創っていく。

こうしたことが、実現できる時代になっています。
僕はまだベトナムしか知りませんが、世界のどこかにはきっと、
日本人がいない環境でありながら、日本を好きでいてくれて、
今も必死で日本語を勉強してくれている人たちが沢山いるのではないかと思います。

そんな人たちと、一緒になって、お互いのために、
仕事をつくっていく仕事って本当に面白いなと感じています。

このように、一日本人が、海外に出て、現地の人たちとつながる。
そして自分がハブとなり、日本人と海外の人たちを個人レベルで繋ぎ、仕事を創っていく。

今はまだ荒唐無稽なことだと思われるかもしれません。
けれども、これからこうした事例はますます増えていくでしょうし、
一日本人の生き方としてありえない選択ではなくなってくると思います。

今は、自分がその事例になるべく、現地で奮闘して参ります。
最後に僕の教え子である学生の動画を載せて終えたいと思います。

以上です。長い間お付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。


*学生との集合写真。スピーチコンテストには晴れて入賞しました。

川村泰裕

この記事を書いた人

川村泰裕
ベトナムで働く川村泰裕です。企業からの赴任ではなく、単身乗り込んで仕事をつくろうと日々奮闘中。
BLOG:ベトナムフエで仕事を創る

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