震災から10日後、仲間と被災地に炊き出しに行ってきました


3/11 東日本大震災が起きました。
まず、はじめにこの場を借りて。お伝えしたいことがあります。

お亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りするとともに被害にあわれた皆様、心よりお見舞い申し上げます。ならびに日本の復興の為に尽力なさっている皆様に敬意と感謝の念を申し上げます。

一日でも早い復興がなされることをお祈り申し上げます。

ですが!
祈っているだけでは足りません。
祈ること。大切なことです。
祈りの力。私も信じている一人です。

しかし、この状況下で、その祈る気持ちを何かの「カタチ」にして伝える事。それが震災の被害に直接あっていない自分達の「祈り」から進むべき次のステップだと思うのです。
ヒトは一人では生きていけません。
人間は支え合って生きています。
今は、きっと自分達 (被災にあってない人達)が支える番なんです。しかし、現在において原発などでの人災により被災者の人数も依然増えているようにも思えます。

何をするべきか。
何をしたらいいのか。
それは僕らの自己満足なのではないか。
現在、日本は膨大な数の情報に溢れ、取捨選択することに戸惑い、その結果行動に移せることが非常に困難になっています。はじめは周りの目を気にし過ぎて誹謗中傷などにも恐れてナーバスになっていたのも事実です。
皆、初めての経験です。何をどうすることがベストなカタチなのかわからない。

「ちゃんと考えてから」
「どこそこに話を通さないと」

「命」が関わっているデリケートな問題です。
だからこそみんな慎重になる。わかります。
けれども「命」という普遍的なテーマの中で100点満点の答え、正解はきっとないと思うのです。
だからこそ、今。自分達が信じる道を進むべきなのです。
被災者の方を思う。その気持ちさえ共有出来れば進んでいいと思う。進むべきだと思うのです。
今、この未曾有の大地震においてたくさんの「穴」が東北を中心に出来ました。大きな「穴」は国、政府が埋めてくれることを信じて。
その反面、国、政府では埋められない小さな穴があることもまた事実です。
そこに自分達のやるべきこと。出来ることがあるのではないか。荒削りでもいい。不細工に見えたっていい。被災者の方が一人でも笑顔になってくれることがあれば…。話は多岐に渡りました。

そんな中、共有出来た一つの思いがあります。

「今、やらないでいつやるんだ」

この思いでした。
この国に生まれた一人の人間として。少しでも日本のために。日本の将来のために力になりたいのです。今ある日本という国を築きあげた上の世代のバトンを自分達が繋ぐ番なんです。被災地のために、日本のために、地球のために、次の世代、そのまた次の世代のために。

そんな思いが自分達を行動に移させました。

大地震から、ちょうど10日後の朝、3月21日早朝。
僕達は福島県いわき市小名浜地区に到着しました。
1000食分の炊き出しとわずかながら救援物資を届けるためです。

出発に至るまでにクリアしなくてはならない問題は山積みでした。
・被災地までの交通網の問題
・ガソリンの問題
・実際にどこに何が必要なのか
・自分達が行くことで逆に邪魔にはならないのか

(※ 現在は交通網、ガソリンの問題などはある程度クリアされていると思います)

これらの問題をクリアするのに助けていただいたのが自分の周りで既に行動を起こし被災地へ赴いている友達、知人の方々のアドバイスでした。

皆さんのアドバイスを受けて、今回、僕達は被災地へ向かう場所を「福島県いわき市小名浜地区」としました。
その理由は以下の3点です。
(あくまでも自分達が集めた情報です。場所によってもちろん状況は違います)

・宮城県と岩手県には物資が届きはじめている
・まだメディアにあまり露出されていない福島県には物資が十分に届いていない
・遠くになればなるほどガソリンを集めなくてはいけない。

という情報から決定致しました。

いわき市には現地災害対策本部に事前に電話で連絡をとらせていただきました。そういうことなら!と小名浜地区の自治会の方を紹介してくださり快くサポートしてくれました。

次に被災地へ赴く目的を以下の3点に集約しました。

01. 持っていけるだけの救援物資を持っていく

言わずもがな行くからには持てるだけの救援物資を持っていこうと。

02. 目標1000食分の温かい食べ物の炊き出し

避難所によっては必要最低限の食料は届いている。というアドバイスと
テレビでカレーの炊き出しに被災地の方がとても喜ばれている姿を記憶していたのもあり
ならば僕達も温かい食事を提供しよう!ということになり決定しました。

03. プロジェクター、発電機を持参して映画を上映する(ドラえもんなど)

きっと避難所ではやることがないだろうと。
ならば避難所にいる子供達に喜んでもらうのを目的にアニメ映画を上映する。
子供達の笑顔は宝です。あの無垢な表情は周囲を笑顔にする不思議なパワーを秘めています。
そうすることで親御さんや年配の方にも笑顔になっていただけたら。

救援物資について

出発予定の二日前に、「自分の地元である埼玉県吉川市の仲間と東京都稲城市の友達に21日に出発するから救援物資を集められるだけ集めてほしい!」と話をし、みんなが迅速に協力をしてくれ救援物資が集まりました。そこでもまだ持って行けるだろうということで更に自分達で買って集めました。

救援物資

米 カップラーメン インスタントみそ汁 お菓子 水 歯ブラシ 歯磨き粉 紙おむつ(乳児用 大人用ともに) トイレットペーパー 生理用品 などの日用品 他にはベビーカー 発電機 布団 防寒着少々 漫画 灯油
などを積めるだけ積んだという感じです。
※各物量に関しては当日とにかく急いでいたため、全体数を数えている時間がありませんでした。

炊き出し

知り合いのカレー屋 kumin soulのオーナーのたくや君に相談をし必要な機材(大鍋など)を借していただけることになりました。
メニューについても相談させていただき、はじめは炊き出しの定番「豚汁」を作ろうと考えていましたが、豚汁は根菜を多用するので具材のカットに時間がかかるしガスの消費量も多い」とアドバイスをいただき、たくや君が考案した、
・白菜とタマネギ(火が通りやすい)
・業務用の肉団子(量もダシも出るし安価)
・春雨(入れるだけで量が増える)
を使った「中華風スープ」を作ることに決定しました。

目標1000食分を作るのに用意した各材料の量は、
白菜40kg タマネギ20kg 肉団子40kg ニラ3kg 乾燥春雨 5kg ニンニク 生姜 胡麻油2ℓ 塩2kg  醤油5ℓ みりん 炊き出し用に使う器1000人分etc
以上の材料を出発前日に電話をして業務用スーパーを駆けずり回って集めました。
金額は全部で5万円しなかったと思います。

映画上映

これは自分達でないと思いつかないサポートは出来ないか、と考えた結果それは「僕らなりの心のケア」ということになり、前日に友達にスピーカー、プロジェクター、アンプを貸してもらいました。映画も子供が喜んでくれそうなものをレンタルしました。

ガソリンに関して

目的地への交通手段はロケバスをレンタルしました。出発前日に運良く地元のガソリンスタンドで給油することができ、ポリタンク3つ(60ℓ)の軽油を手配することが出来ました。
※ガソリン、ハイオクだと法律でポリタンクへの給油が出来ません。

軽油はそれが可能です。ロケバスは軽油で稼働するので助かりました。ロケバスというジャッジをしておいてよかったです。

以上の準備を済ませ、現地、小名浜市民会館に到着したのは朝の7時半頃でした。担当の方が9時に到着し、顔合わせを早々に終え打ち合わせを開始しました。

僕達としては出来る限り、援助の手が足りていないであろう地区に対して炊き出しを行いたい。という要望を伝えさせていただきました。自治会の方々からも「出来る限りの協力をする」と言っていただきました。打ち合わせの結果、一日の流れを以下のように決定しました。

1. ガス設備のある小名浜市民会館にて、1000食分の食事を全て作りきる
2. 避難所にもなっている小名浜市民会館にて付近の住民の方も含めた最初の炊き出しを行う
3. 小名浜地域で避難民の方が多い、江名小学校、中学校にて炊き出しを行う
4. その間にもし時間があれば被害の大きい地域を訪問する

炊き出しをするといっても1000食分はおろか100食分だって作ったことがありません。
どうなることか先行き不安でしたが、地元のお母さん達にも手伝っていただきとにかく気持ちを込めて作ることを心がけました。


映像をご覧になっていただいて感じていただいたと思いますが、調理中はとても和やかな雰囲気で時間が過ぎていきました。
むしろ楽しかった。そんな印象です。
一緒に調理されているお母さん達ももちろん直接被害に遭われている方で中には自宅が福島第一原発から7キロのところにあり着の身着のまま逃げてきたと話してくれたお母さんもいらっしゃいました。
またここで笑顔と勇気をもらったのは僕達の方でした。

am 11:30 地元FM局、NHKでの放送を聞いた被災者の方が小名浜市民会館に集まり最初の炊き出しが始まりました。集まった人数は100人前後でしょうか?地元の皆様の協力もありスムーズに作業は進みました。そして何人もの方が一度、帰宅した後に鍋をもってまた戻ってきて下さいました。
「本当においしかったから今日来れなかった家族、近所の人の分までもらっていってもいいですか」
とのことです。
自分達みたいな若造に対してたくさんの方々が深々と頭を下げてお礼を言ってくださいました。逆に申し訳ないと思うと同時にそれだけ切迫した環境だったのだろうと肌で感じることが出来たように思います。

テレビではなく肌で感じることの大切さ。
リアルにものを感じなければそこにリアルな感情は生まれないようにも感じました。それはきっと昨今、日本人が忘れかけているモノの見方、感じ方ではないでしょうか。こういった機会を与えていただいたことに僕達が小名浜の皆様に感謝したい気持ちでいっぱいでした。
特に自分はおばあちゃん子だっただけに、おばあちゃんに「ありがとう、ありがとう」と言われたときは涙をこらえるのに精一杯でした。

ですが余韻に浸っている時間はありません。
残るはあと2つの避難所「江名小学校、中学校」での炊き出しがあります。一緒に炊き出しをしたお母さん達との別れを惜しみつつ。また必ず戻ってきます。と固く握手をして。次の避難所へ向かいました。

その瞬間はまるで、旅をしているような、そんな心地でもありました。

この時点で僕らはある程度の充足感、微力ながら何か出来たんじゃないか。
という感情に包まれながら、意気揚々と次の避難所に向かったのを覚えています。

車で走るもわずか5分。

それは一瞬にして目の前に広がる光景に打ち砕かれます。自分達の無力さ、ただのぬか喜びだったと感じることになるのです。


生まれてはじめて目にする光景でした。なんと形容していいのかわかりませんがそこはまるで映画のセットのようで。
こういう時、人ってなんともシンプルになるんだなっていうのも垣間見えた気がします。かわいそうとかひどいとかっていう感情よりも。「すげえ」「やば過ぎる」という陳腐な言葉がバスの中は飛び交うばかり。僕、個人で言わせてもらえれば不思議となんの感情も生まれてこないのです。

ただただ眺めるばかり。ただただ眺めるばかりで、「何かを感じろ。何かを感じるんだ」と自分に言い聞かせたのも覚えていますが、僕の感情は機能してくれませんでした。きっと現実に起きている事象として理解することが出来なかったのだと思います。

これは現実なのか?
何がどうなったらこうなるんだ?

様々な思い、感情が頭の中をすごいスピードで行き交っていたのかもしれません。パソコンでいうフリーズ状態。そんな感覚でした。

我に返るやいなや、とにかく映像として記録しないと。と思い、皆様に見ていただいている映像を撮りだした次第です。
特に被害の大きかった小名浜漁港の映像がこちらです。

映像を撮りながら、宮城、岩手はもっと被害が大きいのか。と考えました。考えたんですが、想像は全く出来ませんでした。

バスを走らせること約15分、江名小学校と江名中学校二つの避難所に到着しました。現地ではそれぞれ200名前後の避難者の方がいらっしゃいました。

見渡せば、ご年配の方ばかりが目立ちます。子供達は放射能の影響を心配して前日に都内の方に移動していたそうです。

体育館の中は無気力感というか殺伐としているというか…。皆さん、とても大きなストレスを抱えているのだろうと察する事が出来ました。そこに僕達がかけられる言葉などどこにもありませんでした。

誰かの歌で「君が100回がんばれっていうよりも君が一回がんばったほうが、その思いは伝わる」という歌詞があります。
僕達に今、出来ることは冷めないうちに温かい食事を炊き出しすることです。急いで準備をしました。

ここでも炊き出しをさせていただいてよかった。
久しぶりの温かい食事だったようでとても喜んでいただけました。中には涙を流して食べてくださる方もいらっしゃいました。感謝です。

食の持つ力を肌で感じました。
おいしい食事は人を笑顔にする力を秘めています。
そしてそこにコミュニケーションを生みます。
それは人がどんな状況下にあってもです。今は、どの避難所にもある程度の物資は行き届いていると聞いています。ですが必要最低限です。それだけの物資で、人は笑顔で生きていくことは困難です。
明るい材料がないと人間らしく生きられないのです。

そしてその明るい材料を生産するために人は合理的に生きることを選択し、求めすぎた結果、そのツケ、代償を様々な形で埋め合わせるという状況に直面しています。直面というかたぶん現代はその渦中にいると思います。
そしてその問題は人間のみならず地球全体、生物全体にとっての大きな問題でもあるのです。そんな話、もう皆さん知っているはずです。

それでも!人間が人間らしく生きるためには明るい材料が必要なのです。
現在は、
「その明るい材料をどう生み出していくか」
「地球とどうバランスを保っていくか」

という時代になっています。

人間は求めすぎました。
結局、自分達のことしか考えてなかったね。と他の動植物に言われても何も言い返せないと思います。
もしまだ反省する猶予があるのなら猛省して次に生かさなくていけません。もしかしたら猶予の時間なんてもうそんなにないかもしれません。急がなければいけないように思います。
今回の震災で、何万人という犠牲者の方が亡くなりました。でも私達は何故か生かされたわけです。もしかしたら自分が命をなくしていたのかもしれないのに。
だからこそ、この命を責任もって生き抜いていく。 預けられた命をまっとうして生きていく。自分がやるべきことをやっていく。この多くの犠牲をけっして無駄にはしない。

今回の震災で出来たみなさんの傷を携えて。長崎、広島での原爆での傷も携えて。今までの人の痛みを携えて。
自分達のことだけでなく、繋がっていく生命の先の先まで考えて。共生していく地球のこの先をイメージして。
多くの人がこれに気付き始めていると僕は感じています。
行動する人が確かに増えていると思います。

いつかこれが大きくなったときに、日本、地球は変わり始めると思います。
だから一人ひとりが行動すること。カタチにすること。
これが今、一番大切な事。
炊き出しが終わり、最後は避難所の方々ともリラックスしながら話をさせていただきました。
戻った小名浜地区では支援物資配給の手伝いもさせていただきました。
今回、いわき市小名浜地区に実際に行って僕達が感じさせていただいたことはこれからもきっと忘れてはいけないもののように思います。

そこにあったものはシンプルなモノばかりでした。

それは他人を思いやる事。

ありがとうの言葉の重み。

言葉よりも行動だということ。

食の持つ力。

人間らしく生きるためには明るい材料が必要だということ。

いわき市に行ってから僕達は今回の震災を受けて「Action for Japan」という任意団体を立ち上げました。

これから同世代の「何かしたいけど何をしていいかわからない」という人達一人一人の思いをカタチにするサポート。
周りにモノづくりをする人間がたくさんいるので東北の方と何かをデザインすることでお力添え出来ないか。

僕達なりの
「人間らしく生きるための明るい材料」
を提案してカタチにすることに力を注いでいきたいと思っています。

具体的には僕達の周りにはイベントが好きで得意なメンバーがたくさんいるので東北被災地の自治体、団体の方々と連携を図りお祭りや縁日みたいなものやイベントを共催することを目標に活動をしています。
全国レベルでイベント自粛が目立ちますが被災地でお祭りを行い、パワーを発信していくことがきっと、より意味のあるメッセージとなるのではないかと思っています。

被災地だから出来ないことばかりではありません。
被災地だからこそ出来ることがあるはずです。

そのお手伝いを少しでも出来れば。と思うのです。

そうすることでこれから生まれてくる子供達に笑顔で「ようこそ」「よく、来たね!」と胸を張って言えるように。

それが大人になった僕達のこれからの役目だと思っています。

もう傍観者は卒業です。
新しいリーダー、ヒーローの台頭を待っているだけではいけないのです。
これからは一人一人がリーダーとしての自覚をもっていくこと。
このグローバリズムの中、人間一人が持つ力は更に大きいものになっていくはずです。

みんなで力を合わせましょう!

新しい未来を創っていくこと。

イメージよ広がれ。どこまでも。

この記事を書いた人

Ryota
ファッションブランド「Story」ディレクター / 空間、イベントプロデュースAsia-tribe クリエイティブディレクター / 他、ファッションの専門学校の講師もやったり。好きなことを好きなようにやらせてもらってます!ラーメン大好き。人間はもっと好きです。

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