ミニヨンの空気抵抗とハチヨンの僕


たぶん僕らが幼稚園児くらいの頃に世間では最初の流行があって、
お誕生日会のプレゼントに、友達から
「ダッシュ1号エンペラー」をもらった記憶がある。

僕にとってのまさしく1号機となったそのミニ四駆は、
初走行でオフロードを走らせてギヤが砂まみれになって
僕はすぐに興味を失ってしまった気がする。

僕の周りでミニ四駆への熱が再上昇したのは小学3年くらいの頃で、
少し遅れて世間的な大ブームがやってきた。
スーパーミニ四駆からフルカウルミニ四駆へと続くその時代のことを、
ミニ四駆の歴史の中では”第二次黄金期”と呼ぶらしい。
 
僕らキッズを夢中にさせたのは「改造」という言葉だった。

買ったマシンを説明書どおりに組み立てて完成、ではなく、
ピンバイスとニッパーでボディを肉抜きして軽量化したり、
タイヤを替えたり、ローラーを替えたり、ステッカーを貼ったり色を塗ったりしながら
他の人よりも速くてかっこいいマシンを作り上げるのだ。

「改造」の知識は、主に雑誌『コロコロコミック』から仕入れた。

コースアウトしないためには低重心化が必要だった。
直線の多いコースではレブチューン、カーブではトルクチューンだ。
ニカド電池はレース前日に充電と放電を繰り返す。

とりわけ僕は情報収集に熱心で、
日曜の早朝のテレビ番組や、古い改造マニュアル本などもチェックし、
誰よりも「改造」のノウハウを勉強していた。

何の縁だったか、近所のお兄ちゃんに組み立て式のコースをもらった僕は、
家の和室にコースを設置して10人とかの友達を呼んで、
自分の名前を冠したレース大会を自宅で開催していた。

勉強の甲斐あって僕のマシンはそこそこ速く、
自宅のレースでも好成績を収めていた。
 

そんな僕のレーサーライフに転換期が訪れたのは、
サッカー少年団を通じて隣町のM小学校の柳下君と交流ができた頃だ。

M小にもやはりミニ四駆文化があり、僕らは仲良くなるにつれて
自然とミニ四駆の話をするようになった。

僕が自明なことのように「空気抵抗はフルカウルのほうが少ないから〜」
なんて口にしたとき、頭に?マークを浮かべながら、柳下が言った。
「フルカウルよりも大径タイヤのスーパーミニ四駆のほうが常に速いよ」

それを聞いて頭に?マークを浮かべる僕。
他にも「どんなコースでも常にトルクチューンモーターが速い」
「シャフトを外して二輪駆動にしたほうが速い」など、
柳下の理論はよく知られた「常識」とは異なるものだった。
 

ちょうどデパートで開催されていたレースがあって、
そこで僕らは互いのプライドを賭けて勝負することになった。

結果はというと、柳下のタイヤむき出しのアバンテ2001Jr.に
僕のソニックセイバー(限定金メッキボディ)は惨敗した。

結局、M小の技術は弊校よりもずっと進んでいて、
僕は井の中の蛙であったことを思い知らされた。
 

柳下のアバンテにはウイングが付いていなかった。
「なくしたの?」と聞くと「あんなの飾りです」と柳下は言う。

ミニ四駆漫画であれだけダウンフォースが云々と言っている中で、
柳下は空気抵抗なんてものを全く信じていなかった。
理由を聞くと「走らせてみて、違いがわからないから」と。

走らせてみないとわからない。
あまりにも真っ当な理屈だが、当時の僕には
コロコロコミックを疑うという発想自体がなかった。

ピンバイスを使わずにカッターを熱してボディの肉抜きをする者、
ドラゴンなんたらとかいう非公式の爆速モーターを購入する者のことを
「まちがった改造」をしているとみなして、無条件で見下していた。

「改造」という言葉にえも言われぬ自由さを感じていながら、
実際には誰かの描いたシナリオの中で泳がされているだけだったのだ。

皮肉にも、「空気抵抗をなくそう」とは僕の生きる姿勢そのものだった。

ありもしない「空気」なんてものを気にしてスピードを落とす。
「KY(=空気よめない)」という言葉が流行るのは2008年の話だが、
思うに、僕はずっとそうして——空気をよんで生きてきたのだろう。
 

最近、ふとミニ四駆のことを思い出して、
「今だったら…」なんて考えることがある。

今だったら、もっと柔軟な発想で「改造」できるだろうか。
大人の経済力と人生経験を活かして作る僕のマシンは、
あのときの柳下のアバンテより速いだろうか。
 

ブームには終焉が来るということを、まだ当時の僕は理解していなかった。

レース会場で限定パーツがやけに安売りされてるなぁなんて思っていたら、
いつしかコロコロコミックでは、ミニ四ファイターに代わって
ハイパーヨーヨーの中村名人がヒーローになっていた。

しだいに、周りの皆もモーターの回転で車を走らせる工作に見切りをつけ、
かわってヨーヨーの回転に興じ始めた。

そして彼、柳下の手にも知らぬ間にヨーヨーが握られていた。

「ループ・ザ・ループ!」
びゅんびゅんと空気を切り裂いて回る柳下の一輪車。
そんな彼を見て、僕はやっぱり空気に抗うことができず、
次の日からウォーク・ザ・ドッグの練習を始めた。

この記事を書いた人

akio 札幌生まれ、札幌育ち。 家庭教師仲介の個人事業を経て、現在はソフトウェア開発に従事。自称ジャストアイデアマン。ワクワクにコミットして生きたい。 BLOG:負けまいとする心でしょう!

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