デジモンのバグとハチヨンの僕


小学6年のある日。登校して教室の戸を開けると、
男勝りの、普段は誰より元気な女子がしくしくと泣いていた。

周りの友達に事情を聞くと、
なんでも、飼っていた「たまごっち」が死んでしまったのだという。

たまごっち。
携帯型育成ゲームブームの火付け役だ。

発売当初からずっと品薄、入手困難なアイテムで、
ブームでありながらなかなか現物にはお目にかかれなかった。

「エアマックス狩り」とあわせて「たまごっち狩り」なんて事件も起こり
社会問題にまで発展した。

そんなたまごっちブームのあとに、モンスターがやってきた。

デジタルモンスター。いわゆるデジモン。

アニメとかテレビゲームとかにもなっていたようだが、
もともとあれは、たまごっちと同じ携帯型育成ゲームだった。
育て方によって異なるタイプのモンスターになる。

そして育てるだけじゃなくて、別の人が育てたモンスターとバトルもできる。

中学生の僕ら。
バトルという、中学男子の大好きな要素を併せ持つそれに、
ただでさえたまごっちで「おあずけ」をくらっていた僕らは一目散に食いついた。

デジモンもやはり入手困難であったが、
Ver.2が発売されるという情報をいち早く聞きつけ、
貴重な2000円を握りしめて発売と同時に買いに走った。

そうして、念願の育成ゲームを手に入れたのだった。
やっとの思いで手に入れた育成ゲームだったが、

学校内ではゲームは当然「不要物」とされ、禁止された。
しかし、まめに世話をしないとモンスターは死んでしまう。

僕らは学ランの内ポケットにモンスターを忍び込ませて世話をし、
始業前に、休み時間に、ひっそり友人とのバトルを楽しんだ。

もちろん教師らもそれに気づかぬほど無能ではない。
見つかり、没収されるものも少なからずいた。

例えばある日、クラスの橋本君は教室内で
デジモンにプロテインをあげていたところを担任に見つかり、
現行犯で没収されようとしていた。

橋本は抵抗し、せめて最後に1回だけバトルさせてくれと懇願。

先生は少し考えて言った。
よし、いいだろう。1回だけだぞ。

とたんに笑顔になって、僕のほうを振り返る橋本。
ラストバトルの相手として僕が選ばれた。

そして橋本と僕のデジモンは、担任の見守るなか最期の熱戦を繰り広げ、
2匹仲良く没収されていった。

まあ没収といっても、一日二日で返してもらうことはできた。
しかしその処罰は、彼らを餓死させるには十分であったし、
また、没収によって真に失われるものは他にあった。
内申点である。

北海道の高校入試における内申点、つまり、
中学校内での成績は、合格判定において実に半分の重みを持つ。

内申点は教師の心証に多分に左右されたが、
不要物の没収は特に内申に響くといわれていた。

いま思えばあれは、僕らの内申点を餌に育つモンスターだった。
自らの将来を犠牲にしてまで興じたデジモンであったが、
ブームの終焉は突然やってきた。
バグが見つかったのである。

正確には覚えていないが、電池と電池の接触する金具との間に
細く切ったテレカを何度も抜き差しするような方法で、
最初からなんらかの型に成長した状態でモンスターが誕生する。
それを何度もやれば、自分の好みの型のモンスターも簡単に出せてしまう。

はじめ僕らは、このバグの発見を喜んだ。
何度も何度もバグらせて、いろんな型のモンスターでのバトルを楽しんだ。

しかし興奮は長くは続かなかった。
バグで簡単にモンスターが作れてしまうから、苦労して育てる意味が無い。
結局、楽をしては達成感は得られないということを身をもって学ぶ形になった。
モンスターを育てる過程で、不意に何度も死なせてしまうことはあったが、
僕は、まさにこのとき、皆がバグに醒めてしまったときに初めて、
小6のあの日、たまごっちを死なせて泣いていた女子の気持ちが
ちょっとだけわかった気がした。

ああ、僕のガルルモンは死んでしまった。

何度死んでも簡単に生まれ変われる彼らにとって、
死とはすなわち、必要とされなくなること、
興味を失われて、電池を抜かれることに他ならない。
それはもしかしたら人間も同じで、誰かに興味をもたれているということこそが
生きる実感になるのかもしれない。
時は中学1年、冬。
まだ高校受験なんて、全然他人事のように思えた。
もう2年もあれば、そのうちに誰かが「カコモン」のバグを見つけてくれれば
入試くらいテキトーに倒せる。そんなふうに考えていたんだ。

この記事を書いた人

akio 札幌生まれ、札幌育ち。 家庭教師仲介の個人事業を経て、現在はソフトウェア開発に従事。自称ジャストアイデアマン。ワクワクにコミットして生きたい。 BLOG:負けまいとする心でしょう!

あわせてどうぞ