第2回:「被災地」の夏祭り


忘れられない夏

こんにちは。夏ですね。今年も暑いですね。

被災地と呼ばれる私の故郷、宮城県石巻市にも夏がきました。

8月には、2つの大きなイベントがありました。

ひとつは、石巻市最大のイベント「川開き祭り」。

もうひとつは、お盆。

川開き祭りについて

川開き祭りといえば、石巻で一番の大イベント、夏祭りです。

昼は商店街に出店が並び、夜は大きな花火大会。

商店街は1年で一番の人出、といってもいいのではないでしょうか。

元々は、石巻に流れる北上川の水害で亡くなった方々の供養のためにはじめたお祭りだそうです。

 

つなみのあと、石巻市が「今年も川開き祭りをやります」と高らかに宣言したのはまだ混乱が続く4月の半ば頃だったと思います。

行方不明者や避難所にいるひとたちのリストを探し続けて読んでいた新聞で、その川開き祭りの記事を見つけました。こんな状況でも、今年もお祭りをやるんだ。その祭りが行われるイメージが頭に浮かび、私を元気付けました。

市内では「そんな状況じゃない!」という反対の声もあったようですが、8月に毎年恒例のお祭りをする、ということがどれほどの人たちの希望となったことかと思います。

実際、川開き祭りの主催者である石巻商工会の方は、こうおっしゃっていました。

「もともと水害で亡くなった人への鎮魂のために始まった祭りなのに、こんな大きな水害があった今年やらないでどうする!」

 

夏祭りの意味

川開き祭りは8月1日。

7月31日の前夜祭の夜には灯籠流しがありました。

 

今年は亡くなった方のお名前を灯籠に記し、石巻を流れる北上川へ、そしてその先の海へと流しました。

石巻は、海に育まれた土地です。

海の恩恵を受けてお金を稼ぎ、発展した街です。これからもそうです。

今回、海のすさまじいちからで、たくさんのものや命が流されました。

そして鎮魂の祈りを込めて流すのもまた、海。

石巻も、今回津波の被害にあった沿岸地区すべては、これからも海と生きていきます。

川を美しく流れていく灯りを見て、みんながそれぞれの思いを抱え、涙を流していました。

この光景は、一生忘れられないと思います。

 

そして翌日の本祭。信号すら復旧していない商店街にも出店やちょうちんが並び、切なくも楽しい雰囲気でした。

 

夜は花火大会がありました。例年より規模は小さいものの、心がこもった花火大会でした。

いつもは地元の企業が協賛金を出していた花火、全国各地の方々からのご支援で見ることができました。

本当にありがとうございました。

 

明るい花火があがるたび、がれきが照らされていました。

川沿いの家がなくなったので、みんなが川沿いから自由に花火を見ることができていました。

 

浴衣を着て出かける中学生や高校生たち。たまやーと叫ぶ子ども。

流された自分たちの会社の跡地で飲み会を開いて花火を鑑賞するひとたち。

私みたいに、川開きにあわせて会社を休んで帰郷するひとも多かったです。

千葉の親戚の家に避難しているおばあちゃんも、久しぶりに石巻に訪れました。

 

やっぱり、花火を見たら泣いてしまいました。

 

そして、お盆。

お盆休みは親戚の家をめぐり、お墓参りをしてきました。

実家がお世話になっているお寺さんは、お盆に間に合わせるためにどうにか暫定的に畳を敷けるところまで修繕が進んでいました。

ボランティアの方々が、とても一生懸命手伝いをしてくれたそうです。

お盆の供養がある日の朝は、ボランティアの方が自主的に畳をきれいに雑巾がけをしてくださったそうです。

 

お墓には、手向けられたたたくさんの花が。

震災後、5月にこのお寺を訪れたときにはまだお墓の上に車が何台も乗っていました。

墓石がなくなってしまったお墓も、そもそも流されてしまったお寺もあります。

うちのお墓はつなみの影響で一部壊れていますが流れてはいませんでした。

 

震災の数日後に生まれた親戚の赤ちゃんにも会ってきました。

もう5ヶ月。寝返りをうちます。かわいい。

なんだか、力強い命がぴかぴかに光っていて、泣けてくる愛らしさでした。

仕事も、家も、なくなったり壊れたり、ご近所さんがたくさん引っ越してしまって、

これからどうしようねえ、なんて話をしながら、それでもわたしの家族も、親戚たちも。

多くはこの街で生きていくのです。

この記事を書いた人

きむち 宮城県石巻市生まれ→京都で大学生活→東京でweb広告関連OL。 好き→少女漫画、旅行、アボカド、ヨガ、ビール かつぜつが悪く、何を言っているのかわかりません。

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