リアルセーフティネットワークをつくる


ベトナム人のおじいさんとの出会い

この写真を見て欲しい。学生の家に遊びにいったときに撮った一枚である。

これは「ザッツベトナム」な一コマである。家族が一同に集い、ワイワイと日々を暮らしている。

僕は週に1回はこうして家に呼んでもらって食事をさせてもらっている。
そんなあるとき、ふとベトナム人の老後の暮らしが気になって日々の暮らしをどうしているのか聞いてみた。

僕:
「すみません、ベトナムでは年金ってあるのでしょうか」

おじいちゃん:
「あるにはあるけど、戦後に出来た制度だから俺たちの頃はそういったものはなかったね。」

僕:
「そうなんですか。じゃあ、日々の生活で必要なお金とかはどうしているんですか?」

おじいちゃん:
「家族と暮らしているから、余り必要ないんだよ。 それに、時々自分で屋台を出して、必要な分だけ稼いでいるんだよ。 まだまだ元気だよ俺は。ハハハ」

僕:「(;゚Д゚)<ナント」

この会話は個人的には衝撃的だった。まず年金制度がないにも関わらず、毎日家族が楽しく暮らしている。

この時からベトナムと日本でのセーフティネットの違いについて考えるようになった。

セーフティネットは制度か人か

日本ではセーフティネトはいわゆる「制度」として整っている。一方、ベトナムでは「制度」は未完成ながらも、「人」を基本としたセーフティネットが自然と出来ている。

ベトナムで暮らしてから早1年半。
「年金がなくても生きている人」との出会いは、僕の固定観念をいとも簡単にぶっ壊してくれた。

僕はこうしたあり方を「リアルセーフティネット」と呼んでいる。
「人」を中心に据えた「セーフティネット(=ピンチのときに頼れる先)」のことである。

セーフティネットって何だろう

ベトナムに来る友人たちに良く言われることがある。それは「いやーお前は頑張ってるよ。でも自分事として考えると、
将来の年金とか心配になるよね。そう思うと中々お前のように踏み出せないよ」と。
これは現役の学生たちからも良く言われることだ。

たしかにその通りである。日本の制度は整っているし、それに準じていれば老後も安泰のように見える。

しかし、本当にそうなんだろうか。
日本では制度が整いすぎて知らぬまにその制度自体を絶対視していることがあるのではないだろうか。

今後もその制度が続くかどうかは誰にも分からない。個人的には、仮に年金が支給されたとしても家族から切り離され1人で老後を暮らしていくのは嫌だなと思う。

つまり、あまりに整い過ぎているがゆえにその制度自体は一体何なのか、本当に安心出来るものなのかどうかについて思いを巡らせることは自分自身の経験から考えてもなかったように思う。

僕はベトナムに来ることで、一旦は日本の制度上のセーフティネットからは外れた人間である。もちろん、不安がないかと言われればないとは言い切れない。

ただ一旦距離を置き、日本とベトナムの双方を見ることで「自前でセーフティネットって作れるんじゃないか」と思うにいたったのである。

例えば冒頭に挙げた年金について。
仮に1円ももらえななかったとしても、家族と暮らし、子供や孫たちと暮らしながら極力お金を必要としない生活を送っていたいと思っている。その点において、ベトナムは僕の中での最先端を走っている。

1人で暮らしていると何かとお金が必要だ。けれども、それを誰かとシェアすることで、大幅にコストは下がる。
今から老後のことを考えるのは早すぎるとは思うが、老後にお金に頼らない生活のあり方を今からでも考え、リアルセーフティネットを作ってしまおうじゃないか。

ある居候が気づかせてくれたこと


実は僕自身ベトナムに行く前にこの「リアルセーフティネット」に助けられたことがある。

こちらにも書いたが、僕は08年に大学を卒業しました。
その後、新卒で勤めていた会社がいきなり傾き、所属していた部署もろとも消滅するという経験を持っている。当時はリーマンショック真っただ中。働き始めてたった1年半の小僧に、次の職のあてなんてなかった。そんな時助けてくれたのは僕の家に住んでいた居候だった。

当時、僕は1人の居候を抱えていた。ただ居候を養っている最中に失業したので家賃が払えなくなってしまった。そしてその居候にもその旨を伝えなければならなかった。

そんな時、その居候は僕にこういった。
居候:「お前は、まだまだこれからだ」と。

最初は「え、お前がそれ言うの!?」と度肝を抜かれた。けど、その時は何だか嬉しかったのだ。(後にその居候とハウスシェアを始めることになる)。

つまり、その言葉自体ではなく、彼の存在そのものが嬉しかったのだ。
家に帰ると、「おかえり」を言ってくれる居候。
時々料理を作ってくれる居候。
その後、僕より早く職を見つけた居候。

また、彼のネットワーク力によって家には全国各地から食料が届きまくった。実は彼は日本全国の農家の方たちに縁を持っていたため、週に1回はおいしい卵や、玄米、野菜などが届いていた。そのお陰で失業前より太ってしまった。

こうした居候とのやりとりを通じて、実感したこと。
それは制度よりも「ただいまを言える相手がいる」「話を聞いてくれる相手がいる」それのほうがずっと前向きになれるんだということ。
今思い返せば、僕は「リアルセーフティネット」に助けられていたんだなあと思う。

海外で生きられる!というセーフティネット

僕は現在ベトナムに暮らしている。今月で1年と7ヶ月になる。職のあてなく飛び込んだため、正直生きていけるのか毎日不安だった。

しかし、渡航して1ヵ月後には10万ドン(=約400円)を頂けた。
その後はご縁に恵まれ仕事らしい仕事をつくることができ、何とか生活が出来ている。

その結果分かったこと。
ベトナムなどの外国で1人でも友達がいればそれはセーフティネットになる。そこから仕事を紹介してもらえる可能性だってある。創れる可能性だってある。

特に、東南アジア圏では日本人であること日本語が話せることだけで求められる場所は確かにある。生活コストも10分の1になる!
「日本以外の国でも生きていける!」
という実感を持てるだけでもかなりの安心感になるものだ。

また、海外に行かなくても外国人の友達はいくらでも作れるだろう。
学生なら周りに留学生の1人はいるはず。学生じゃなくてもゲストハウスに住む、またはカウチサーフィンを使って外国人を自宅に招くことだって出来る。

「海外でも生きていけるんだ!」という実感を持つことは、「リアルセーフティネット」の一つになるだろう。

最後に


日本のこれから、自分のこれからなんて誰にも分からない。そういう意味ではなんとも不安定な時代に生まれてしまったものだと嘆きたくなる。

ただ、今ほど「そもそも」を考えるのに適した時代はないとも思う。ベトナムからみると日本って本当に素晴らしい国だと感じる。何もかもが整っているし、自分自身何か生活に不自由した記憶はほとんどない。

一方で、それが自分にとって幸せなのかどうかはまた別の話。幸いにも僕たちのような若造には背負うものがあまりない。だからこそ、SNSを駆使してつながりを増やすのもよし。海外に飛び出して自分なりの生き方を考えはぐくむのもよし。これまで書いてきたようにセーフティネットだって自分で作れる可能性がある。

このように、自由に発想して、自分の意思で自分の人生を決めていける時代だし、僕はそんな時代にとても感謝をしている。
今日はそんなことが言いたかったのでした。それではまた!
さて、明日は何すっかな(働けよ!)

川村

この記事を書いた人

川村泰裕
ベトナムで働く川村泰裕です。企業からの赴任ではなく、単身乗り込んで仕事をつくろうと日々奮闘中。
BLOG:ベトナムフエで仕事を創る

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