好きだよ。カツ丼も、あなたも。


恋というものは、オーバーのように、着たり脱いだりできるものじゃないんだ
(映画『チャンピオン』より)

天丼、カツ丼、親子丼、牛丼、豚丼、鰻丼……
私は「丼もの」が、苦手だ。味が、という意味ではない。
味だけだったら、それらはむしろ私の大好物の部類に入る。丼のフタを開けたときに舞いのぼる、馥郁たる香りを含んだあのあたたかな湯気の様子を思い浮かべるだけで、溢れる生唾を抑えることができなくなるほどに、私は、それら丼ものの味を支持している。というか愛している。

ならば丼もののどこが気に入らないのか、と問われれば、
「一度箸をつけてしまったら残さず全部食べなきゃいけないような強迫観念に駆られるところ」ということになろうか。

いや、この世に存在する食べ物は、すべからく一度箸をつけたら最後まで残さず味わって食べるべし、ということになるのではあろうが、それにしたって丼ものは特殊である。
なんといっても、おかず的なものと白米的なものとが渾然一体となっている。それらはもはや切り離すことができないほどにぐちゃぐちゃと混ざり合っている。

そう、丼ものの持つ「ぐちゃぐちゃ感」が私を追い立てるのである。私は人より少食なので、常に「これ、食べ切れるかな……」という意識を頭においた上で食事をとっているのだが、たとえばそれが普通の定食だったら、ちょっと量が多くて食べきれないかな……と思っても、残すことに対する罪悪感が、そこまで強く発生することはない。
おかずはおかず、白米は白米、ときっちり分かれているのなら、なんと言おうか、
「きれいに」食べ残せる気がするのだ。
(食べ物を残すことにきれいも何もないのだが……。)
うまくすればその残したおかずを、一緒に食事をとっている誰かが食べてくれるかもしれない。

しかし丼ものはどうだ。
たれや汁などによって白米はすでにぐちゃぐちゃ、丼の中が美しい景観となることはごく稀で、それを覗いていいのは食べている本人だけ。残したものを他人に食べさせるなんてもってのほか!ということにはならないだろうか。
しかもお店で出される丼ものって、大抵女性にとっては量が多めなのだ。
「うぅ、もうお腹いっぱい……味はおいしいけど、もうお腹に入らないよ……でも残すわけにはいかないよな……丼の中ぐちゃぐちゃだし……これ見た人、嫌な気分になるよなぁ……うーん、もうちょっとがんばろ……うーん、しかし苦しいな……。」
といった事態が、私の場合、かなり頻繁に発生するのだ。
それが、苦手なのである。
一度手をつけたのなら、最後までしっかり付き合っていかなくてはならなくなる丼もの……。その「逃げ場のない感じ」が、私はどうも、苦手なのである。

これは何も丼ものに限った話ではない。食べ物でいったら、ソフトクリームなども同様の強迫観念をこちらに植えつける。一度口をつけたら数分間はソフトクリームだけに集中しなくてはならない、かつ食べかけを他人に譲渡できない、さらにそれが溶け出してしまうまでに腹の中におさめなくてはならない……。
この「逃げ場のない感じ」。
どうも、苦手である。

「逃げ場のない感じ」がすることを理由に苦手としているものは、食べ物以外にもたくさんある。
たとえば映画。
あれは一度観始めたら2時間は画面に集中しなくてはならない。2時間はそこから逃げられない。苦手である。
ということから私は家では映画鑑賞よりも読書をして過ごしている事の方が多いのだが、その本だって、無意識のうちに、長編小説よりも中編小説、短編小説、さらにはそれよりも短く軽めのエッセイなどを選んでいることが多い。
まだまだある。一度空けたらその場で飲み切らなければならないコルクワイン。あれは大変な強迫観念をこちらにもたらす。
それを言うなら缶ジュースも苦手。飲み物は開閉自由なペットボトルで飲みたい。
長距離バスも苦手。自分のペースでトイレに行けない恐ろしさと言ったら……。
さらに、一度始めてしまったら、簡単には「やーめた!」と放り投げることのできない「恋愛」という事象。
思い切って言ってしまえば、私は、これが、とても苦手だ。

冒頭の「恋というものは、オーバーのように、着たり脱いだりできるものじゃないんだ」という格言、まさに言い得て妙、と膝を打ってしまう。
恋愛というものは、ちょっと寒くなってきたから、ちょっと暑くなってきたから、ただそれだけの、そして自分だけの理由で簡単に着脱できるものではないのだ。恋愛は相手ありきのものであり、決して自分だけのペースで進められるものではないのである。ちょっと思い通りにならないから、面倒だからと言って、すぐに投げ出せるものではないのである。
「逃げ場がない」と言ってしまえば身もフタもないのだが、それでも、一度始めてしまったら自分の意志だけで簡単にやめられるものではない「恋愛」という事象が、私はたまにどうしようもなく恐ろしく、足がすくんでしまうことがあるのだ。
「恋愛に閉じ込められている」なんて言ったら大変に気障で鳥肌モノなのだが、自分の意思だけではどうにもならない事態に、
「ああ、どこにも行けない……」と、一人嘆息することもしばしば。

そうは言っても、恋愛のもたらす昂揚感は何事にも換えがたく、自分の意思でどうにかできるものでないという事態が、逆に心を浮き立たせることもあるのもまた事実。
「逃げ場のない」閉塞感と「制御できない」昂揚感がないまぜになって私の心を捉え続け、ああままならぬ、いやだ、苦手だ、と言いつつ、いくつになっても恋愛することをやめられないのだ。

……とかなんとか、ひねくれ節全開なことを言ってきたが、しかし、たとえば以下のような瞬間に、恋愛という事象の持つどうしようもない閉塞感に風穴が明けられることがあって、それもまた相手ありきの恋愛の妙であったりするなぁと、ますますその魅力にとりつかれてしまいそうになる自分がいる。

私「今日のお昼、何にする?」

彼「そうだなぁ。俺、カツ丼食いたい。」

私「うっ……カツ丼かぁ……。」

彼「何? カツ丼嫌い?」

私「いや、好きだけど……食べきれるかなぁ。」

彼「なに? お前、そんなこと気にしてるの?」

私「う……うん……。」

彼「馬鹿だなぁ! お前が残しても俺がそのカツ丼全部食ってやるし、大丈夫だよ。」

私「え、カツ丼なのに? 私の残したもの、食べてくれるの?」

彼「え? なんで? 食うよ、普通に。俺、大食いだし。」

私「あ……本当? あ、ありがとう。ちょっと、嬉しいかも……。」

彼「はは。なんだよ、お前ウケるわ。いいから、早くカツ丼食いに行こうぜ。腹減っちゃったし。」

私「う……うん。じゃあ、カツ丼屋さん行こっか。」

……ま、上記のようなことを私が実際に体験したわけではなく、これらは悲しいことにすべて妄想なんですけど。ということで、私の残したカツ丼(もしくは丼もの全般)を余さず平らげてくれる殿方大募集。私に恋愛の妙を体感させてください!

この記事を書いた人

こひでやふこ
田舎生まれ田舎育ち。現在は東京23区のはずれ在住。お酒とお笑いが大好物。毒舌なようでいてそうでもない? ただ、若干、ひねくれ者。斜め後ろ目線から文章を書き散らしてはニヤニヤしています。
BLOG:水瓶座グラフィティ

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