第1回:「被災地」はこれからもつづく


宮城県石巻市

岩手県から流れる東北最大の川・北上川が、太平洋へ注ぐ場所。
そこにある小さな港町が、宮城県石巻市。
わたしの故郷です。
もはや言うまでもなく、2011年3月11日の東日本大震災で被害を受けた地域のひとつです。
18歳で故郷を離れ、はや9年になりました。
過疎化がすすみ、繁華街はすっかりさびれ、だんだんとイオンが市民の集う唯一の場所になっていたような街でしたが、それでも旧北上川にかかる橋から海を眺める風景は、息をのむほどきれいでした。
地元の素敵な男性とご縁があれば、いつか帰る日が来るやらこないやら、なんてのんきに思っていたりもしましたが、そんな縁はないまま今回の震災に見舞われました。

このコラムでは、「被災地」と呼ばれる故郷の様子を継続的にお伝えしていこうと思っています。

被災地の「なか」と「そと」

生まれ育った街に津波がきて、家族が被災して、実家が水没して、でも自分自身は被災地のそとで暮らしている。東京でいつもどおり働いて生活しながら、生まれ育った被災地のなかのことをずっと気にかけている。この宙ぶらりんの場所で感じるのが、被災地の「なか」と「そと」の意識のものすごいギャップです。
「もうだいぶ落ち着いたでしょ?」なんて、東京にいる友人たちは、もう津波は終わったことのように話したりします。
一方、被災地はというと、母校にはまだ何百人も避難したままだし、仕事はないし、瓦礫は道路からはなくなったけれど近くの場所によけただけで、瓦礫の処分先も決まっていないのが現実です。

修復はあくまで、少しずつ

それでも、自衛隊や消防、またボランティアのみなさまのおかげで、少しずつ片付けは進んでいます。本当に色々な方々に助けられています。
ここで実家の様子を紹介しますね。

津波が来る前の実家。数年前に建てたばかりの母念願のマイホームです。

次に、津波から2週間後かな?わたしが始めて実家を訪れたときはこんな感じでした。歩く場所はかろうじて確保していました。

津波から約2ヵ月後。家族や知人や住宅メーカーの方やボランティアの方々のおかげですっかりすっきりきれいさっぱり。

しかし、床下にもヘドロがたまっているので、これからこの床のフローリングをはがしてその下を掃除する作業があります。これもボランティアさんにお願いすると父から聞いています。

このコラムで伝えたいこと

これは1000年に一度の自然災害だそうです。1000年に一度。ちなみにハレー彗星は76年に一度。オリンピックは4年に一度。こんなすごい事態なのに、他人事に感じているひとが意外にも多くて驚いてしまいます。
自分の家が流されたから、大げさに感じてしまうのか?って思ったりもしましたが。いまいち「他人ごと」にしか思えない方は、いったん「自分ごと」にしてしまっては如何ですか?とおすすめしたいと思います。

関わって、考えて、参加しませんか

週末にボランティアに行くでもいいですし、(まだまだボランティアは募集しています)それがちょっとハードルが高い場合は、たとえば友達が住んでいるとか、地名が自分の名前に似ているとか、何でもいいので何か気になる被災地に募金して応援するとか、被災地域の名産品を持ち寄って飲み会を開くとか。
なにか小さなことでもいいので、自分の意思で関わってほしいなと思います。
忘れないで、応援すること。それが一番被災地への励みになると思います。

1000年に一度の、あまりにも大きすぎる出来事。

奪われた多くのもの、それ以上のなにかを、一人でも多くの人が得られますように。

この記事を書いた人

きむち 宮城県石巻市生まれ→京都で大学生活→東京でweb広告関連OL。 好き→少女漫画、旅行、アボカド、ヨガ、ビール かつぜつが悪く、何を言っているのかわかりません。

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